| 凄い一週間だった… |
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| 一言で言うとこんな感じ。 なにが凄いって、自分の人間性をここまで深く見直した 事がなかったから。 見直すまでに至った 場面、 出来事、 知識 に遭遇したからだ。
何言ってんだこの人…とこれ見てる人は思っていると 察しますが、これだけは記録としても、 自分の反省のためにも心情のままを書きたいと思って 書いてるので、申し訳ないけど、これ以上は見ても 面白くないんで;、見ないことオススメしますぞ。
話が中断しちゃったが、 更に焦点を絞ると、自分の内―『エス』の部位に 根強く存在している、「傲慢性」に気付いたのだ。 本来、フロイトの心理学において人の心の構造は三つの層 から出来ている、という。 超自我、自我、そして深層心理にあたる、無意識の部分エス、である。 前二者は、『意識』、エスは『無意識』の部位として、 よく「海に浮かぶ氷山」に例えられる。 沈んで見えない部分が、エスなのであり、見えてる部分より、かなり大きい体積を保有している。 その『エス』を、私は垣間見た気がしたのだ。 まるで、自分が思い切り空中浮上し、氷山を上から覗き込んだかのように。 その中に―自分でもそこまで無いのでは、と浅はかながら思っていた『傲慢性』が見えたのだ。
これは、3つの出来事によって私にガーンと突きつけられた。 まず、バイト先の塾でのこと。 勉強にやる気が出ないとダレる生徒に対し、 それでも授業は聴いてなさい、と言ったところ。 「だって先生の授業聞いても分からないんだよ」 と言ったのである。それで私はとっさに 「失礼ね!」 と言い放ったのである。 生徒は「いや、私がどんな先生の授業を受けても頭に入らないような人間って意味で言ったんだよ」と言った― それが本音にせよ建前にせよ、だ。 問題は私の返答のしかただ。
失礼ね?…私は自分の授業が分かりやすいものだと自惚れているのか。 それだけお前は勉強して、彼らのために少しでもわかりやすい授業を、と不断の努力をしてきたと豪語できるのか? 傲慢さが無ければ、「それは悪かった。一体何処が彼らにとって分からない所なのか」なんて思うはずだ。
更に、部活でのこと―と続くが、あんまり長くなりそうなんで省略。でも、そこでも自分の人間性が一旦崩されかけるような場面に遭遇したのだ。
私は本来劣等感を持つ人間で、自分を卑下し続けてきたが、 このままでは前に進めないと思い直して、 『倫理のことば』や文学を通して自分を好きに成る努力はしてきたつもりである。 しかし。 自分に誇りをもつことと、傲慢になることは違う。 中身もきちんと伴っていないくせに、「うわべ」は出来ているように振舞う。 幼い頃から「いい子」ぶろうとしつづけてきた、後遺症みたいなもんだろう。 それ故、まだ解明できてないとおもうけど… 私の心はそんな「うわべ」という殻に、真心っていう部分を覆われている構造をとっているのでは、と思った。 楽しいことには―快楽をもとめる部分、つまり本能部分のエスが自然と働くからそんな殻は問題ない。 では、他の―悲しいこと、つらいこと、苦しいことに対してはどうだったんだお前?
しっかりした心を持つためには― この問題を解決しなければならない。 まだ分からないことだらけだけど、 ここが、自分のはなっから望んでいた成長どころだとは思う。
ふう、硬い話になってしまった…(大汗) とりあえず、メシ食べてこよう。
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Sunday, 06, Nov 18:10 | コメント(0) | ぼやき | 管理
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